スナップ(4):成長と生きがい ― 2018年06月07日
最近、息子夫婦に二番目の男子が誕生し、一番目2歳半男子の孫の面倒をみているのですが思うことがあったので投稿します。
孫と外出していると、見るものへの関心が高く、直ぐに名前を尋ねてくる、そして記憶してしまう。また、本を見て興味のある「アンパンマンのキャラクターの名前」「機関車・トーマスの友達の名前」などはほとんど全部覚えており、名前を尋ねると即答してくる。
何事にも輝いた目をしている孫の姿を観ていると、人間の成長にとって一番大切なのは関心・興味・意欲・目標ではないかと思う。今のところは、点である名前だけだが、もう少し歳が大きくなると、名前と名前をつなげる線(現象・理由・原因・関連)=何故を尋ねてくると思う。その時、即答できず、調べてから答えることが多々あるのでは。
この世に生まれて何を目標に生きるのか。人間は考え、努力する動物。幼児の目は何時も何かを求めて止まず、大きく成長するにつれて具体的な目標に向かって志し、努力するするようになる。科学・文学・芸術・スポーツ・趣味・その他について、日々の勉学・研究・工夫・訓練により有する能力レベルを高めていくことができる。
私の好きな詞に「百考は一験に如かず」がある、頭でいろいろ考えるだけでなく、実際に出会い・試行・経験・失敗することが非常に大切である。経験することにより、今まで気づかなかったことを知ることができるから。そして、将来の大きな夢に向かって情熱をもってコツコツ努力することが非常に重要である。この世に生まれ、常に人間として成長することにより、充実した楽しい生涯を送れるのではないか。と、私は思う。
D200, AF-S NIKKOR 300mm 1:4 D ED
湖・池(25):岐阜県揖斐川町・徳山ダム湖①・ある谷間(2016年6月1日撮影) ― 2016年06月05日
スナップ(3):京都五山、山門と三門 ― 2013年11月30日
庭園拝観や桜・梅・紅葉の時期などに寺院をよく訪れるのですが、その度に「京都五山とは?」、「山門と三門の違いは?」と思うことがありました。そこで一度調べて整理しておきたいと思います。
京都五山とは:
五山の制度は印度の五精舎にならい、中国南宗末期に禅宗の保護と統制のため格式高い五つの寺を定めたことに由来する。南宋から帰国した僧侶栄西らによって伝えられた禅宗はその後隆盛を極め、鎌倉時代の末期、幕府は次々と大寺院を建立。 鎌倉五山とは、鎌倉時代に中国の五山制度にならって鎌倉の禅寺に設けられた五大官寺のこと。北条氏は、南宋にならい五山制度を導入、鎌倉の主な禅刹を五山と 呼ぶようになり、鎌倉幕府滅亡後の室町初期には鎌倉・京都それぞれに五山が定められ、それに次ぐ十刹と緒山が選ばれて制度が定着したといわれる。その後たびたびの改定を経て、室町時代の1386(至徳3)年に、3代将軍の足利義満により、五山の上に南禅寺がおかれ、相国寺を創建し相国寺を第一位、天龍寺を第二位とする順位変更が行われたが、義満没後の1410(応永17)年に元に戻された。もともとは、寺を格付け管理するための足利氏の政治政略的な格付け、官が任命権をもって順次格式の高い寺に昇任させる制度である。
京都五山の上 :南禅寺 (なんぜんじ)、臨済宗南禅寺派大本山
京都五山の第一位:天龍寺(てんりゅうじ)、臨済宗天龍寺派大本山
京都五山の第二位:相国寺(しょうこくじ)、臨済宗相国寺派大本山
京都五山の第三位:建仁寺(けんにんじ)、臨済宗建仁寺派大本山
京都五山の第四位:東福寺(とうふくじ)、臨済宗東福寺派大本山
京都五山の第五位:万寿寺(まんじゅじ)、現在は臨済宗東福寺の塔頭
山門と三門の違い:
山門は正式には三解脱門(さんげだつもん)といいます。三つの解脱=さとりを求める者、簡単に言えば「仏教を学ぼうとするもの」だけがここを通って中の諸堂に入る事を許される暗黙の関所の役割をしています。
寺院には必ずといっていいほど山号がついています。昔の寺院が山にあったその名残りだといわれています。お寺のある山に入山するときに通る「山にある門」が山門です。
三門というのは、昔の大きな寺院は正面の門のほかに左右にも門があり、正面門(多くは南向きの大門)と東門、西門を三門と呼んだようです。山門と三門の両方がある寺院もあるようです。
・・・・あまり深く掘り下げると頭が痛くなるのでこれまでにしておきます。
京都五山とは:
五山の制度は印度の五精舎にならい、中国南宗末期に禅宗の保護と統制のため格式高い五つの寺を定めたことに由来する。南宋から帰国した僧侶栄西らによって伝えられた禅宗はその後隆盛を極め、鎌倉時代の末期、幕府は次々と大寺院を建立。 鎌倉五山とは、鎌倉時代に中国の五山制度にならって鎌倉の禅寺に設けられた五大官寺のこと。北条氏は、南宋にならい五山制度を導入、鎌倉の主な禅刹を五山と 呼ぶようになり、鎌倉幕府滅亡後の室町初期には鎌倉・京都それぞれに五山が定められ、それに次ぐ十刹と緒山が選ばれて制度が定着したといわれる。その後たびたびの改定を経て、室町時代の1386(至徳3)年に、3代将軍の足利義満により、五山の上に南禅寺がおかれ、相国寺を創建し相国寺を第一位、天龍寺を第二位とする順位変更が行われたが、義満没後の1410(応永17)年に元に戻された。もともとは、寺を格付け管理するための足利氏の政治政略的な格付け、官が任命権をもって順次格式の高い寺に昇任させる制度である。
京都五山の上 :南禅寺 (なんぜんじ)、臨済宗南禅寺派大本山
京都五山の第一位:天龍寺(てんりゅうじ)、臨済宗天龍寺派大本山
京都五山の第二位:相国寺(しょうこくじ)、臨済宗相国寺派大本山
京都五山の第三位:建仁寺(けんにんじ)、臨済宗建仁寺派大本山
京都五山の第四位:東福寺(とうふくじ)、臨済宗東福寺派大本山
京都五山の第五位:万寿寺(まんじゅじ)、現在は臨済宗東福寺の塔頭
山門と三門の違い:
山門は正式には三解脱門(さんげだつもん)といいます。三つの解脱=さとりを求める者、簡単に言えば「仏教を学ぼうとするもの」だけがここを通って中の諸堂に入る事を許される暗黙の関所の役割をしています。
寺院には必ずといっていいほど山号がついています。昔の寺院が山にあったその名残りだといわれています。お寺のある山に入山するときに通る「山にある門」が山門です。
三門というのは、昔の大きな寺院は正面の門のほかに左右にも門があり、正面門(多くは南向きの大門)と東門、西門を三門と呼んだようです。山門と三門の両方がある寺院もあるようです。
・・・・あまり深く掘り下げると頭が痛くなるのでこれまでにしておきます。
スナップ(2):色が意味するものは? ― 2013年05月18日
スナップ(1):忘れもの? ― 2013年04月16日
この歳になると体力・持久力の低下、記憶力の低下、物忘れが進んでいるように思えて仕方がない。
1)外出する際、戸締り・エアコン・電灯・給湯・パソコンなど消し忘れていないかとUターンして確認することがある。戻ってみると全て大丈夫なのに。
2)家内に頼まれて買い物に行った際、メモ書きを持っていかないと5つの中で最後の一つが何だったか思い出せない。よって必ずメモ書きを持参するようにしている。
3)路上で知り合いに出会った時、深く付き合っていた人の名前は直ぐ出てくるが、浅い付き合いだった人の名前は出て来ず、ヤアーで済ますことが多い。
4)書物を読んでいても目が疲れやすく、直ぐに中断する。
これらの状況は私だけではないようなので安心しているが、出来る限り遅くなるようにと好きなことに頭と身体を使うようにしている。
D800、AF-S VR 70-200mm F2.8
1)外出する際、戸締り・エアコン・電灯・給湯・パソコンなど消し忘れていないかとUターンして確認することがある。戻ってみると全て大丈夫なのに。
2)家内に頼まれて買い物に行った際、メモ書きを持っていかないと5つの中で最後の一つが何だったか思い出せない。よって必ずメモ書きを持参するようにしている。
3)路上で知り合いに出会った時、深く付き合っていた人の名前は直ぐ出てくるが、浅い付き合いだった人の名前は出て来ず、ヤアーで済ますことが多い。
4)書物を読んでいても目が疲れやすく、直ぐに中断する。
これらの状況は私だけではないようなので安心しているが、出来る限り遅くなるようにと好きなことに頭と身体を使うようにしている。
D800、AF-S VR 70-200mm F2.8
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