梅景(5):大阪市・大阪城梅林①(2014年2月22日撮影) ― 2014年02月22日
寺院(31):京都市山科区・隨心院①(2014年2月23日撮影) ― 2014年02月23日
昨日訪れた大阪城梅林の梅が咲き始めていたので、今までに訪れたことがなく梅と小野小町ゆかりで有名な「隨心院」に行ってきました。ところが院の前にある小野梅園の梅はまだつぼみのままの状態で閉園になっていました。観梅時期を尋ねると、京都は寒いので3月10~20日頃が見頃とのこと。観梅の代わりに隨心院庭園と小野小町のゆかりを探りました。訪れた庭園は冬の時期なので木々の葉が褐色がかかっていました。
帰り道に1km離れた「勧修寺」も訪れたのですが、こちらは木々の葉が落ち、草も枯れた庭だったので新緑かハスの時期に訪れて報告したいと思います。
帰り道に1km離れた「勧修寺」も訪れたのですが、こちらは木々の葉が落ち、草も枯れた庭だったので新緑かハスの時期に訪れて報告したいと思います。
隨心院總門
閉園中の小野梅園
薬医門から大玄関
隨心院庭園①
隨心院庭園②
隨心院庭園③
小野小町化粧井戸
小野小町の屋敷跡に残る井戸で、小町が朝夕この水で粧をこしらえたと、『都名所図絵』に記されている。
小野小町の屋敷跡に残る井戸で、小町が朝夕この水で粧をこしらえたと、『都名所図絵』に記されている。
小野小町文塚
境内の本堂裏にあり、深草少将をはじめ当時の貴公子たちから小町に寄せられた千束の文を埋めたところ、と伝えられている。
境内の本堂裏にあり、深草少将をはじめ当時の貴公子たちから小町に寄せられた千束の文を埋めたところ、と伝えられている。
小野小町歌碑
D800、AF-S 28-300 f/3.5-5.6G ED VR
城(20):大阪府岸和田市・岸和田城①(2014年2月26日撮影) ― 2014年02月26日
堺市にある荒山公園梅林を訪れる途中に岸和田城に寄ってみました。生憎、城を囲む堀の水は抜かれて石垣の修理中だったので堀を入れた城の撮影はしなかった。
岸和田城がいつ、誰によって建てられたか詳しいことはわかっていない。豊臣氏滅亡後、松平(松井)氏二代を経て、寛永17(1640)年、摂津高槻から岡部宣勝が入城し、以後、明治維新まで岡部氏が13代にわたって岸和田藩5万3千石を治めました。
この間、文政10(1827)年、落雷のよって天守閣は焼失した。昭和29年、鉄筋コンクリート造りで三層の天守閣が再建された。
天守閣の前に、一風変わった庭園「八陣の庭」が目を見はる。この庭は庭園設計の第一人者、重森三玲氏によって設計監督されたもので、室町以前の城郭平面図をもとに地取し、所々に諸葛孔明の八陣法をテーマに大将を中心に天・地・風・雲・龍・虎・鳥・蛇の各陣を配したものらしい。
岸和田城がいつ、誰によって建てられたか詳しいことはわかっていない。豊臣氏滅亡後、松平(松井)氏二代を経て、寛永17(1640)年、摂津高槻から岡部宣勝が入城し、以後、明治維新まで岡部氏が13代にわたって岸和田藩5万3千石を治めました。
この間、文政10(1827)年、落雷のよって天守閣は焼失した。昭和29年、鉄筋コンクリート造りで三層の天守閣が再建された。
天守閣の前に、一風変わった庭園「八陣の庭」が目を見はる。この庭は庭園設計の第一人者、重森三玲氏によって設計監督されたもので、室町以前の城郭平面図をもとに地取し、所々に諸葛孔明の八陣法をテーマに大将を中心に天・地・風・雲・龍・虎・鳥・蛇の各陣を配したものらしい。
D800、AF-S 28-300 f/3.5-5.6G ED VR
梅景(6):大阪府堺市・荒山公園梅林①(2014年2月26日撮影) ― 2014年02月27日
岸和田駅~(南海電鉄)~羽衣駅~(徒歩)~東羽衣駅~(JR)~鳳駅~(JR)~三国ヶ丘駅~(南海電鉄)~泉ヶ丘駅に移動、泉ヶ丘駅から3kmほど歩いて「荒山公園」行きました。公園については案内図版に記されている通りで、私と同じ年配の人たちが多く来られていました。この梅林が他の梅林と違っているのは同品種の梅を4・5本以上固めて同じ場所に植えられていることです。観梅・撮影するのに大変助かりました。
この日の午後から中国からのPM2.5の飛来がひどくなり遠くがかすんで見えづらくなってきました。この日は一日中マスクを掛けての鑑賞・撮影でした。
この日の午後から中国からのPM2.5の飛来がひどくなり遠くがかすんで見えづらくなってきました。この日は一日中マスクを掛けての鑑賞・撮影でした。
寒紅梅
白滝枝垂
道知辺
月の桂
見驚
甲州小梅
紅千鳥
田子の浦
D800、AF-S 28-300 f/3.5-5.6G ED VR
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