海岸(27):高知県土佐清水市・足摺岬①(2011年10月7日撮影) ― 2011年10月29日
竜串からバックして県道27号線に入り、四国最南端の「足摺岬」に到着です。
「足摺岬」は、高知県南西部土佐清水市に属し、太平洋に突き出る足摺半島の先端の岬で、足摺宇和海国立公園に指定されています。展望台から眺める太平洋に突き出た岬は最高でした。後姿で写っている像が中浜万次郎です。
中浜万次郎 : ジョン万次郎として知られる幕末から明治初期の漂流者、英語教師。土佐の国足摺岬中の浜(現在の土佐清水市)に貧しい漁師の二男として生まれ、1841年(天保12年)14歳のとき、宇佐浦からかつお漁に出て遭難し、仲間5人とともに伊豆諸島の無人島に漂着した。
なんとか命をつなぎ、漂着後143日にして、運よくアメリカの捕鯨船ジョン・ホーランド号に救出された。船長は、ホイットフィールドという親切な人であった。万次郎は、船長から英語を教えられ、そして名をジョン・マンと呼ばれた。その後、渡ったアメリカと戻った日本で波乱に満ちた人生を送る・・・・・・・・・詳しくは石碑文を。
「足摺岬」は、高知県南西部土佐清水市に属し、太平洋に突き出る足摺半島の先端の岬で、足摺宇和海国立公園に指定されています。展望台から眺める太平洋に突き出た岬は最高でした。後姿で写っている像が中浜万次郎です。
中浜万次郎 : ジョン万次郎として知られる幕末から明治初期の漂流者、英語教師。土佐の国足摺岬中の浜(現在の土佐清水市)に貧しい漁師の二男として生まれ、1841年(天保12年)14歳のとき、宇佐浦からかつお漁に出て遭難し、仲間5人とともに伊豆諸島の無人島に漂着した。
なんとか命をつなぎ、漂着後143日にして、運よくアメリカの捕鯨船ジョン・ホーランド号に救出された。船長は、ホイットフィールドという親切な人であった。万次郎は、船長から英語を教えられ、そして名をジョン・マンと呼ばれた。その後、渡ったアメリカと戻った日本で波乱に満ちた人生を送る・・・・・・・・・詳しくは石碑文を。
D700、SIGMA24-70D F2.8EX DG
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